法と日常の交差点:宮崎駿『風の谷のナウシカ』を読む② ―― 光と闇の「二項対立」
8 究極の選択 ―― 呪われた種族
ドルクとトルメキアの戦いで荒廃した世界を旅したナウシカは、聖都シュワにある墓所にたどり着きます。そして、巨神兵のオーマや蟲使いたちの力を借りることで、墓所の最深部にまで侵入します。そこでは、墓所に潜む旧時代の科学者たち(ヒドラ)と、彼らを操る巨大なオーガニック脳(墓所の主)が、現在の世界を清浄化するとともに、生き残った旧人類と「おだやかでかしこい」新人類を入れ替えるプログラムが進行していました。
ナウシカは、墓所の主と問答を重ねた末、たとえ種としての人類が滅びるとしても、墓所を破壊して自然の流れに任せる途を選択します。これまでの過酷な体験を通じて、腐海やオーム・蟲たちの意味が判ったことで、清浄化した後の世界の「胡散(うさん)臭さ」を感じたからでした。たとえ「私達が呪われた種族」であり(第5巻143頁)、「人間の愚かしさは止める術がない」としても(第5巻138頁)、「私達の生命は私達のもの」であって、いずれ「世界をとりかえる朝」が来るとしても、「私達はその朝にむかって生きよう」というのです(第7巻198頁)。

★宮崎駿『風の谷のナウシカ』全7巻(アニメージュ・コミックス、1983年~1995年、徳間書店)
9 二項対立 ―― 闇の中にまたたく光
これに対して、人類の運命を託された墓所の主は、ナウシカとのやり取りの中で、「再生への努力を放棄して、人類を亡びるにまかせるというのか?」と批判します。しかし、ナウシカは、「亡びは、私達のくらしのすでに一部になっている」と答えます。人類が滅びるという警告に対しても、「それは、この星がきめること」と返しています(第7巻199~200頁)。
さらに、墓所の主は、「生命は光だ !!」と主張しますが、ナウシカは、「いのちは闇の中のまたたく光だ !!」と反論します。「光と闇」または「清浄と汚濁」の混沌の中にこそ、生命の本質が存在するのであって、生命を操作すること自体、冒涜といえるからです(第7巻201~202頁)。結局、ナウシカは、巨神兵のオーマを使って墓所そのものを破壊しますが、こうした選択でよかったのかは、読者自身が考えるべきことでしょう。
10 思想の書としてのマンガ版
マンガ版の『風の谷のナウシカ』は、こうした最終的選択や原作者の世界観も含めて、思想の書として評価されています。また、赤坂憲雄『ナウシカ考』は、宮崎駿氏の「砂漠の民」から「シュナの旅」、そして「風の谷のナウシカ」につながる系譜をたどりつつ、単なるエンターテインメントの枠に収まらない広がりを指摘しています(同書4頁)。アニメ版では、直接的にイデオロギーを伝える表現形式が、むしろ観客に嫌悪感を与えるため避けていたのに対し、マンガ版では、かなりの幅をもたせながらも、原作者の思想を忠実に表現したとされます。
なお、別のアニメ映画ですが、いわゆる反戦映画である『この世界の片隅に』がヒットしたのは、上述したアニメの役割を心得ていたからでしょう(2016年公開、こうの史代原作、片渕須直監督・脚本)。さらに、下記の『ナウシカ考』の中では、人間界と腐海(オームや粘菌など)という、世界を二つの要素に分割する思考方法にも言及しています(同書112頁、114頁)。そのほか、太田啓之「コロナ下で読むナウシカ(下)」朝日新聞2021年5月5日付け朝刊は、宮崎駿氏の生命観や世界観にも触れていました。

★写真左は、①赤阪憲雄『ナウシカ考―風の谷の黙示録』(2019年、岩波書店)、写真右は、②宮崎駿『シュナの旅』(アニメージュ文庫、1983年、徳間書店)のカバーです。①『ナウシカ考』では、『風の谷のナウシカ』の原型となった②『シュナの旅』を詳しく紹介しています。『シュナの旅』は、絵本のような体裁になっており、荒廃した大地にあって、奴隷の人間を材料にしてキメラのような生物が生み出され、それが穀物を育てるという設定になっています。また、ナウシカに似た女の子も登場します。
11 清浄と汚濁の混じり合い
さて、墓所の主は、世界を二つに分けて、一方を光や希望の側とみなし、もう一方を滅亡と虚無の側にあるとします。ナウシカは、そうした二分論的な立場を認めていません。すでに庭園の管理者(ヒドラ)との対話の中で、「世界を清浄と汚濁に分けてしまっては、何も見えないのではないか」と問う場面がありました(第7巻130頁)。両者が混じり合ってこそ、現実の世界を理解できるのであり、生命は、人類の滅亡も含めた虚無の深淵の中で瞬く光である、という生命観に到達しています。滅びや死を否定するとき、生命も存在しえないし、光と闇、清浄と汚濁という二項対立では、何も説明できないからです。
そのほか、腐海に生息するオームや蟲たちは、何らかの使命をもつ存在とされており、ある種の物神思想がみてとれます。さらに、浄化や輪廻の思想を織り込んだ点では、旧約聖書や仏教思想が影響しているかもしれません。物語の中で登場する様々な伝承も、環境破壊や戦争などを通じて、文明の崩壊や再生というテーマにつながっています。
12 登場するキャラクターと作者の人間観
つぎに、登場人物に注目してみましょう。トルメキア王国では、ヴ王とその皇子、クシャナの間で骨肉の争いがありました。ドルクでも、超常の力をもった皇弟とヒドラになった皇兄が権力を奪い合います。ナウシカやユパ、ペジテのアスベルやドルク軍の司令官・チヤルカなど、いずれのキャラクタ―も、様々な悩みや悲しみを抱いた人物として描かれています。人工生命体である巨神兵(オーマ)や庭園の番人(ヒドラ)でさえも、多層的な人格をもった存在として登場します。
しかも、上述したキャラクターは、単純な「善悪二元論」で描かれていません。クシャナには、冷徹な軍人の側面と母親や部下を想う側面があり、クシャナを仇として狙うアスベルも、激しい復讐心とナウシカを守ろうとする優しさが併存しています。トルメキアのヴ王や神聖皇帝も、支配欲にかられた専制君主である一方、権力者であるがゆえの重圧や苦悩など、人間らしい部分も描かれています。邪悪な存在にみえた神聖皇弟のミラルパ(の怨霊)でさえ、ナウシカと一緒に旅する中で、その宿業から解放され、無垢な魂として「成仏」するくだりがあります(第6巻93頁、127頁)。
13 善と悪の二項対立からの昇華
このようにして、マンガ版の『風の谷のナウシカ』では、アニメ版のように「善と悪」または「正と邪」の「二項対立」ではなく、たとえ人工的な生命である巨神兵であっても、単なる戦いの道具でなく、(エフタル語で「無垢」を意味するオーマという名前で)ナウシカにつき従い「立派な人間」になろうとしています。他方、ナウシカの中にも、怒りで我を忘れる側面があることは、物語の冒頭でトルメキア兵に切りかかる部分に現れていました(第1巻68頁)。
まさにマンガ版では、表面的な善と悪の対立にとどまらない、人の心の深奥にある葛藤や欲望が描かれており、こうした人間観や世界観こそ、宮崎駿さんが描きたかったものではないでしょうか。刑法学者の関心事としては、人間それ自体が善と悪の二元論では割り切れない現実と重なります。しばしば一部の学者が、まるで性善説のような主張をくり返していますが、性悪説を踏まえた法の理念とはそぐわないでしょう。かつて「法三章」という言葉がありましたが(漢の高祖・劉邦による)、かりに人間の本性が善であるならば、これを規律する法は無用となるからです。
14 現代社会の行く末を考える
この物語では、腐海の尽きるところまで旅をしたナウシカが、人工知能に人類の命運を託すことの是非や、不死の生命がもつ功罪についても、問いかけています。現在、遺伝子操作が可能になる一方、AI(人工知能)の進化も目覚ましいなど、このマンガが描かれてから30年を経た現在、我々を取り巻く環境は、「火の7日間戦争」直前の世界に近づきつつあります。仮に人類が「生命を操る技術」や「人間を超えるAI」を手に入れたとき、滅びの途にいたらないという保証はあるのでしょうか。
いわゆるシンギュラリティ(技術的特異点)は、突然に起きるものではなく、人間が AI に依存する生活を推し進めることで、次第に人間の思考や行動に影響を及ぼすとともに、その結果が AI の役割や機能に反映されることで、人間にとって取り返しのつかない事態を招く状態を指しているのではないでしょうか。
二項対立とは何か?
この言葉は、相対立する二つの概念または考え方であって、たとえば、主観と客観、物と心、生と死が挙げられます。また、相対立する二つの要素で世界を捉える立場ということもできます(松村明編・大辞林〔第4版、2019年、三省堂〕2068頁)。しかし、現実の社会は、単純な「善と悪の二項対立」では説明できませんし、マンガ版の「森の人」の存在は、かりに環境保護を徹底するとして、およそ火を使わずに(原始的な)生活に耐えうるかという意味で、二項対立では済まないことを示唆しています。「風の谷」の人々であっても、少しは火を使って生活しているからです。
15 物語の終わりに
物語のその後について、ナウシカが「深く傷ついた鳥」と評したクシャナは(第7巻84頁)、ナウシカの示した道を自分の「王道」として、トルメキア中興の祖となったという記述があります(第7巻223頁)。これをみる限り、人類はしばらく生存した設定になっています。他方、ナウシカは、ドルクの地にとどまった後、「風の谷」に戻ったと記されていますが、「森の人」セルムのところに赴いた可能性も否定していません。ただ「生きねば…」という最後の言葉にあるように、いずれの途であっても、彼らが最後まで生き抜いたことを示唆しています。
このようにみてくると、アニメ版のナウシカと漫画版のナウシカは、全く別の作品といえるでしょう。それぞれが異なるテーマを扱った作品である点に加えて、マンガ版に登場した人々には、なお隠された真実があります。これを知るカギは、庭園の管理者であるヒドラが放った「瘴気に肌をさらしながら、わずかなマスクだけで平気なのを、おかしいと感じなかったのかな?」という問いです(第7巻129頁)。その意味でも、アニメ版をみた方には、是非、マンガ版をみて頂きたいと思います。なお、もちろん、マンガ版をみた方にも、アニメ版をみて頂けたら幸いです。
マンガ版『風の谷のナウシカ』の表現形式
切通理作『宮崎駿の〈世界〉』(ちくま新書、2001年、筑摩書房)は、アニメ版のナウシカでは、メリハリのある動きを絵コンテ的に展開したのに対し、マンガ版の場合、多くのページに10枚以上のコマがあり、ネームも多いと指摘しています。映画のカット割りに影響を受けたマンガが主流となった現在、マンガの歴史を絵物語の次元にまで引き戻したような印象があるといいます。また、マンガ版における人物の輪郭や背景の描き込みは、すべての線が安定しないフリーハンドで描かれており、有機物と無機物が混ざり合ったような味を醸し出しているとされます(同書300頁)。
〈参考文献〉
本文中に掲げたもののほか、佐久間修「環境汚染化学物質の刑事規制について」阪大法学51巻6号(2002年)36頁以下、永井均『マンガは哲学する』(2004年、講談社α文庫)236頁以下、長谷山彰『罪と罰の古代史―神の裁きと法の支配』(2025年、吉川弘文館)43頁以下など。
おすすめ記事
RECOMMEND関連記事
PICK UPおすすめ記事
法と日常の交差点:「モームリ」事件から士業独占を考える
『BiZUP』9月号に協会の対談記事が掲載されました!
【参加費無料】名古屋士業交流会のご案内 ~当社代表の佐久間が登壇いたします!~
『月刊税理士事務所CHANNEL』5月号に取材掲載いただきました!
RANKINGランキング
1
法と日常の交差点:伝説の詐欺師 ― チャールズ・ポンジ
2
法と日常の交差点:特殊詐欺 ― 詐欺だけど、詐欺じゃなかった!
3
【コラム:法と日常の交差点】詐欺の近現代史 ― 豊田商事事件
4
【参加費無料】名古屋士業交流会のご案内 ~当社代表の佐久間が登壇いたします!~
5
法と日常の交差点:「モームリ」事件から士業独占を考える
CATEGORYカテゴリ
| ブログ | 188 |
|---|---|
| イベント・セミナー | 79 |
| ニュース | 11 |
| 財務・経営コンサルティング | 7 |
| コラム | 0 |
CONTACT お問い合わせ
bpコンサルティングでは創業支援、補助金申請代行、財務・経営コンサルティングサービス、経理代行・クラウド会計導入支援、事業承継のアドバイザリーなどの支援や経営者やリーダー層に向けたセミナーなどの開催、メルマガの配信などさまざまな方法でお客様の永続的な発展を支援してまいります。まずはお気軽にお問い合わせくださいませ。
(土・日・祝除く)
052-655-6567